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そこそこ

本田そこの文章

意見と問題と権力のこと

雑記

最近、他人と衝突することがない。

 

以前はそうじゃなかったのかと言われると、特筆するような出来事はなかったなぁという具合なので、元々そんな感じらしい。

自己主張をあまりしてこなかったからかもしれないが、それだけでもないんだろうなぁと思ったので、少し頭を巡らせた結果をメモしておく。

 

ただ一つ結論めいたものを先に述べておくと、この先、他人と衝突する可能性が少し高まっているのを感じている。だから、権力が欲しい。

 

自己主張をするタイミングって、自分が生きるために持っている何らかの「軸」の存在が浮き彫りになって来る瞬間だと思うんですが、今のところ、私の「軸」を表に出す必要のある機会がないので、自己主張をしなくなる。結果として、他人と衝突するような場面がなくなってくる。

他人の主張に対して、こちらとしては特に意見がないからお好きにどうぞというスタンスになることが多ければ、そりゃぶつかることも減るだろう。

意見を持っていないわけではないので、求められたら口にする。だけど、意見そのものにこだわりは無いから異論があれば聞くし、採用されなかったところでまぁいいやという感じになることも多い。

 

しかし、これは自分が通したい何かを持っていないというわけではない。

単純に、皆が議論する対象と別のところにそれがあるだけなのだ。

幸いにしてそこに触れてくる人がいないから、私は淡々と自分のやりたいように振る舞うことができていて、それゆえ、他の部分で多少自分の意見がないがしろにされようと問題がないというスタンスでいることができている。

 

問題意識の違いというと語弊があるので、観点の違い、と少しぼかした表現にしてみよう。

そもそも歩んできた進路の特性上、皆が暗黙のうちに前提としているところに光を当てて問題を顕在化させる、というのが自分の得意としているところなので、そりゃまぁ誰も気づいてなかったんだから議論が始まりもしない。

一方、私がそういうところにかまけている間に、他の人たちは別の問題に着手する。

動いているレイヤーが違うのだ。

そして、私は問題を見つけはするし解決策も掲示はするけど、どう対処するかには興味がない。強いて言えば自分に火の粉が降りかからないように配慮するけど、そういうのは問題の設定と掲示する解決策の調整で事前に対処できることが多い。 どの解決策を選んでも自分の望まない方向に行かないようにする、というのは、案外やりやすい。こだわりがない分、受け入れられる結果のバリエーションが多いからでもあるのだろう。

 

そういった振る舞い方をしてきたから、他人と意見を交わしても衝突することは無い。その点については意見を持っていませんでしたということが多いし、そもそも議題そのものに疑義を唱えてしまうので、じゃぁ一緒に考えようという流れになることもある。

こんな感じで、最近は他人と衝突することなく過ごせてきた。

 

だけど、近頃不穏な空気がある。どこで、とは言わないけれど、基盤からしっかりさせていくために心機一転を図ろうというのに、過去のしがらみやサンクコストに縛られた選択肢などが見え隠れするようになっていて、過去の失敗の轍を踏むような流れが少しずつ見えてきている。そうなってくると、そもそもの行動の前提条件という、私が普段過ごしている領域こそが今度は皆の議論の対象となってくるので、さすがに意見の対立、そして衝突は避けられなくなるのではないかと危惧している。

 

じわじわと根回し的なものをしてはいるけど、そもそもあまり頑張りたくないので、労力をかけていない。

できることなら今回も、他人との衝突を避けて乗り切りたい。

 

有無を言わさぬ権力が欲しいなぁ、と思った。

そんな話。

テンポよく読ませたいし書きたいし

雑記 創作

タイトルで言いたいことは言ったのでもう書くことなんてないんですが、ブログなので Twitter よりは多めに文章を残しておこうと思います。

 

文章を読むときのテンポというのがあって、それは言葉遊びだったり字数の組み合わせによるリズムだったりと様々なんですが、そういうテンポを大事に小説を書いていきたいなぁと思っています。

もちろん、会話文になった場合はテンポよりも話者に対する自然さを優先しますので意図的にテンポが悪くなっていたりすることもあるんですが、一方、小説の地の文については、一人称か三人称かでだいぶ印象は変わるわけですけど、実際に文章を読んだときに内容が脳内を上手く流れていってくれるかどうかっていうのは人称をどう選ぶかには関係なく策を練っていくことができる場所なんじゃないかと考えています。

 

このテンポっていうのが読んでもらうことを意識した場合に重要な点となってくるのは少なくとも僕にとっては当然のことなんですけれども、実は書くときにもかなり意識する部分でもあるのです。

文章を書き出したあとの納得感がテンポの良し悪しによってだいぶ変わるんですよ。

 

誰しもそうだとは思うんですが、いざキーボードを叩こうとなったあと、何を書くべきか書かぬべきかで悶々と悩み、必死に取捨選択をしたあとに意を決して文章を出力していくという流れになります。

この出力の時、その場に出力された文章をリアルタイムに再度目で読み込んで内容を頭の中に反芻させるんですけど、テンポ良く読めるような文章になっているとこのときの処理も脳によく効いてくれるので、出力結果に対する納得感、あるいは満足感がかなり高くなります。

良いテンポを保つことができるとその間は次々に文章が手先から流れ出てくれるという状況になったりもするので、生産性も上がって尚グッド。

どうせ最後に見直すので勢いに任せて書き殴った部分は修正できますし、大抵の場合、良いテンポで生み出されたところはいじらない方がいいなって雰囲気を醸し出してます。

 

今は全然鍛えが足りなくてこの良いテンポの持続時間が短いんですけど、これからは、以前のように締切間際にだけ集中して小説を書くのではなくて、長期間、間をそれほど空けずに小説を書き続ける訓練をしていって、よりスムーズに自分を良いテンポで文章を生成できる状態に持っていけるようにしたいなと思ってます。

 

こういうブログ記事を書くのもそういった訓練の一環といえば一環です。

語尾の調整に気を取られていまいち集中しきれないところがあるので文体の統一は早めにしておきたいのですが、まぁ、それはそれとして。

 

カクヨム、書くための場として上手く使いたい。

マンガで考えて小説に変換してる

雑記 創作

小説を書くときに頭に思い浮かべるのは、マンガです。

マンガの一ページを脳内に生成して、その一コマ一コマをいかにして文章に落とし込むか、というのが小説を書くときのメイン苦労ポイントなんですが、それならそのままマンガを描いた方がいいのでは、と時々思ったりもするのです。

思ったりもするのですが、今のところ、小説の方に落ち着いています。

 

理由を挙げるとすれば、単位時間あたりに生成できるシーンの量が違う、というところでしょうか。

 

あくまで私の能力を前提とした話なんですが、頭に思い浮かべた一コマを絵にするのと文章にするのとでは、後者の方が明らかに早く実行可能なので、なるべくたくさんのシーンを生成したいなぁと思っている私はそちらを選ぶことになるのです。

だからといって別に多作ってわけでも速筆ってわけでもはないんですが、それは忘れてください。

そもそも、頭の中にシーンを生成するまでに時間がかかっているんです。

 

もちろん、質の良いものを生成しようとした時には絵にするか文章にするかを時間で比較することは出来ないとは思ってるんですが、その質を妥協したときに、なにか「それ」っぽい絵を描くのに比べて、「それ」っぽい文章を生成するのはより易しいんじゃないかと考えています。

誤魔化しやすいと言ってしまうと語弊があるかもしれませんが、文章の方が、なんとなく雰囲気で流してもらいやすい感じでしょうか。

単に易きに流れているだけなのかもしれませんが、あまり気負わずに創作をしていきたいと思っているので、ある意味では正しい振舞いなのかもれません。

 

とはいえ、マンガをちゃんと描きたいなぁという願望も存在しているので、今年作る同人誌のどれかはマンガにしてもよいのかも、と思ったりもします。

あるいは、小説とマンガをセットにするというのもアリかもしれない。

 

 

ちなみに、台詞回しとかシーンの切替のテンポとかはとあるマンガ家さんの作品群に多大な影響を受けていると思ってるんですが、さて、実際に私の作った作品にはそれがどんな形で反映されているのでしょうか。

自分ではなかなかわからないものです。

長編を書くときの意識のコントロール方法を知りたいというお話

雑記 創作

外に出すことを意識して小説を書くようになって一年経った。

完成したもののうち、外に出力したのは同人誌が四冊。

それぞれ、書いている時に意識していたポイントが異なっていて、

物語の舞台を表現したい

ミステリチックな展開をしたい

物語にギミックを仕込みたい

心象風景を重点的に書いてみたい

といった具合。

実現できたかはさておき、書き終えて完成という形をとったことで、書いていた本人が一旦気持ちを整理するのには効果があった。

やりたいことがいっぱいあってどれから手をつけていいかわからないって状況を、無理やりにでも一本に絞ってやりきることで、強引に前に進めることができた。

 

それで、現在の話。

だいぶ前から設定を練っているお話があって、そろそろそれをアウトプットしていきたいなぁと思っている、

今まで書いてきたものがどれも短編であったことに対して、今書きたいものは表現したいものの量を考えるに、確実に長編になる、

そこで、一つ懸念が生じる。

これまで、短編だからこそできる「締め切り間際に強引に詰め込んで書き終える」という手法を取ってきた人間が、はたして長編の執筆という作業をうまくコントロールできるのだろうかという問題だ。

しかも、これまでは短編ゆえに「やりたいこと」もコンパクト化してきたけれど、今回の長編はそうもいかない。

世界観を密に伝えたいし、キャラクターの個性も表現したい。人間関係から生じるドラマみたいなものも書いてみたいし、少しずつ積み重ねた物語から自然と生じる自分にも予想もつかないような展開というのも体験してみたい。

そんな状況だから、集中力が、創作に対するモチベーションが様々な目的に対して分散してしまって、結局書き進めることに失敗してしまうのではないか?そんな疑問がふつふつと浮かび上がってくるのである。

 

過去にそういった経験の積み重ねがないからこそ生じる悩みで、ぐだぐだ言ってないで書き始めろよというのが答えなのかも知れないけれど、不安なものは不安だし、最初の一歩でいきなり転ぶなんてのは避けたいし、できるなら質も高めておきたい。

自分の作りたいもの、表現したいものは、なるべく綺麗な形で外に見せたいというのは自然な願望だと思う。

 

だから、散らばる目的を寄せ集め、長いスパンで続くであろう執筆のプロセスに対するモチベーションを上手く維持する方法がないものか、じわじわと探っている最中である。

 

アイディアはあまりに長く溜め込んでも腐ってしまうから、そうなる前に日の目を見せてやりたいね。

 

 

大した心構えもなく書き始めることについて

雑記

「継続は力なり」と言いますね。

 

私、インターネット暦は長いのですが、そういえば長々と続けてきたことがあまりないなぁということをここ数年感じていました。

日記系サービスが流行っていたときはその流れに乗っかったり、その前は自作ホームページなんかを作っては閉じるを繰り返していたり、多方に手を出してはすぐに飽きて放置してきた歴史のみが積み重なっています。

 

現在進行形で活動しているうちで一番長いもの、 Twitter だと思います。

https://twitter.com/BooksThere の他にもアカウントがあって、そちらが大体 2009 年頃から動いていますので、現時点で 8 年弱といったところでしょうか。

 

いや、もうそっちはまともに動かしてないから結局は飽きてしまっているのかもしれない。

となると、本田そこ名義で活動をちゃんと始めたのが二年くらい前だから、 Twitter 暦もそんな大したことがないですね。

 

まぁそんな感じで、インターネットの海を漂いながらも何も残さずに過ごしてきたのですが、いい年になってきたし、生活の仕方も少し変えたいし、あと、文章生成癖をつけたいし、ということで、ブログを書こうと思い立ちました。

過去に様々なブログサービスを試し、それらが既に電子の藻屑となっているという現実がそこに存在しているのですが、多分、大丈夫でしょう。

 

ブログの中身ですが、最近の精神は「創作」を中心に動いているので、何かしらそれにまつわる内容の、とりとめのない文章の塊を生成していくと思います。

 

気負わず、文字数制限のない Twitter 程度の扱いで続けていきたいですね。